仕事に悩む20代の自分に伝えたい3つの教訓

考え方

microshovelです。早いものでわたしが会社を辞めてからもう6年経ちます。

サラリーマンとして過ごした約10年は決していいことばかりではなく、イヤなことも多かったです。

もちろん、いいこともありました。

お客さんに「どうしてもお願いしたい!」と言われた急な仕事が上手くいったときは充実感がありましたし、何と言っても、退職日当日の17時1分に取引先のみなさんから掛かってきたエールの電話は忘れられません。

しかし、トータルで見るとサラリーマンであることは苦痛の方が大きかったような気がします。

退職して直後は会社のことをよく思いませんでしたが、だんだんと時間が経つと自分に足りなかった部分も見えるようになってきました。

そんな中で、もし20代の頃の自分と話すことができるならこれだけは伝えておきたいと思うことを今日は書いてみます。

20代の自分だけでなく、自分の息子たちが社会人になるときにも伝えたいですし、現在20代で同じように悩んでいる方にも少しでも参考になればうれしいです。

被害者にならないこと

ひとつめは、「被害者にならないこと」です。

これだけでは何のことか分からないかもしれません。

簡単に言うと「誰かが見てくれているなんて思ってはダメで、言いたいことは言わないと自分が損する」ということです。

わたしは小さい頃の教育のせいかどうかは分かりませんが、「自分がやるべきことをきちんとしていれば、見てくれている人はいるはず」と思い込む傾向がありました。

人事面や待遇、職務内容などで不満があるときでも、「アピールし過ぎない方がいい。ちゃんとやってればいずれ評価されるはず」と思っていたのです。

確かにそんな真面目なところがある程度評価されはしました。

しかし、結局のところわたしは会社にとって都合の良い人間に過ぎなかったのかも知れません。

会社に入って10年近く働いているとだんだんと部下もできます。

かつてわたしがやっていたポジションを他の人が担当するようになるのです。

彼らを見ていると、会社に対する要求ははっきりと口にします。

そして、その要求が認められるのです!

勤務時間にしても、待遇にしてもわたしには認められなかったことであっても、彼らが会社に対してはっきりと要求すると、それが正当なことであれば大体のことは承認されました。

それではなぜわたしには認められなかったのか?

わたしが要求しなかったからです!

声の大きいヒナはより多くのエサをもらえます。

すべての会社が同じだとは言いませんが、ある意味でアピールした者勝ちなのが社会の現実なのではないでしょうか。

別にわたしの後任者たちを責めている訳ではありません。

自分の間抜けさを反省しているのです。

会社に何も要求しないわたしは会社にとって便利な存在に過ぎなかったのです。

さらに問題なのは状況が自分自身に与える影響です。

自分の後任者たちの要求が通るのを目の当たりにしたわたしは、正直に言うと少しすねていました。

「10年近く忠実に仕事をこなしてきたオレよりなぜ彼らの方が報われるのか?」という訳です。

この心理状態がまさに「被害者になっている」ということです。

待遇面や職務内容に関することなら、単なる条件面の話しですからまだ何とでもなります。

しかし、そのことが自分の精神状態にまで影響を及ぼしているとしたら、まさにそれが被害者になってしまっているということなのです。

被害者になって良いことなど何もありません。

仕事も楽しくないし、そんな負のエネルギーが溜まった状態では周りの人も楽しくないでしょう。

わたしが退職した今も気を付けていることは、まさに「被害者にならない」ということです。

やるべき事はしっかりやった上で、言うべき事ははっきりと言う。

その結果がどうであれ、後に引きずらない。

仮にわたしがいま上手くいっていないとしても、そのことを過去の会社のせいにしたとしたら、わたしは今も会社の被害者のままだということになってしまいます!

退職後は被害者にならないよう前を向いて進んでいくように心がけています。

現在は「被害者になる」ことが簡単な時代です。いつの時代もそうかも知れませんが。

会社のせいにもしやすいし、上司のせいにもしやすいし、時代のせいにもしやすいです。

でも、仮に会社や上司や時代が悪いことが事実だとしても、だからと言って自分が被害者になる必要はありません。

20代の自分には、「被害者になるな。はっきりと主張しろ!」と言いたいです。

自分の色を出すこと

先日、何かの記事を読んだ妻から「シゴト」には次の4つがあるという話しを聞きました。

  • 「仕事」… 会社や上司の指示に従う
  • 「私事」… 自分の好きなことを自分のためにする
  • 「死事」… 自分を押し殺していやいやする
  • 「志事」… 志や信念に基づいて主体的にやる

それで、妻が「まあ普通は全部の要素があって、その割合の問題だよね」というので、わたしは「いや仕事に私事はないでしょ」と言いました。

すると妻から「いや、仕事にも私事はあるよ、私事だけではダメだけど、その要素はあった方がいい」と言われたのです。

そこで良く考えてみると、過去の自分には「私事」が足りなかったのかも知れないということに思い至りました。

わたしはとにかく仕事上で素の自分を出したくなかったのです。

仕事とプライベートに明確な線を引きたかった。

ただでさえ仕事ではイヤなことが多いのに、そこで素の自分を出してそれで否定されると本気でへこみそうでした。

防衛本能でそうしていただけかも知れませんが、素の自分を出さないことで本当の自分が認められているような感覚がなく、余計に苦しんでいたのかも知れないと思うようになりました。

どの業界にもいますよね。キャラを前面に出す人。

「まあ、あの人が言うのだからしょうがない」とか、

「〇〇社ではなくて、あの人とお付き合いしている」とか言われる人。

無理してそこまで行く必要はないですが、それくらいキャラとして認められたらやりがいはあるだろうな、と思うのです。

サラリーマン時代のわたしは、プライベートなことはあまり話さなかったし、仕事でも自分の色というものを出しませんでした。

とにかく与えられた仕事を丁寧かつ確実にこなすことを最重視していました。

でも、それだけではダメなのですね。

そこにほんのわずかでも自分の色を付け加えると、相手との距離も近づくし、仕事もやりやすくなります。

結局のところ、ほとんどの仕事は人対人なので、お互いのことを理解している方が仕事が上手くいくことが多いと思います。

20代の自分には、「もっと自分の色を出していい。こっちが自分を出さないと相手も出してくれないよ」と言いたいです。

自分の手に技能が残る仕事をすること

これはよく言われることですし、今の若者はよく理解していることでしょう。

わたしが退職を決意したときに思ったのは、

「結局、自分が仕事のプロになったのか、会社のプロになったのか分からないな」ということでした。

会社勤めをしていると、ほとんどの会社で「その会社だけで通用する仕事」というものがあります。

会社によっては、上司の年次と出身大学を完璧に記憶しておくのが大事な仕事だったりします。

その会社でしか使われないソフトやシステム、他にもその会社でしかやっていない仕事の仕方はたくさんあるとおもいます。

そういったものは会社の外に出ると役に立ちません。

わたしは幸い仕事で英語を使っていたので、退職してからも翻訳者として生活することができましたが、それ以外の部分では特に何も残っていません。

どんな仕事をしてきましたか、と聞かれたとしても上手く答えられそうにありません。

ただひたすら上司の指示に従っていたような気がします。

上司の顔色をうかがう検定があれば合格ですね(笑)

今にして思えば、入社したときから「これは社内でのみ通用するもの。これは社外でも通用する技能」と区別しながら仕事をしていれば良かったと思います。

例えば、在庫管理ひとつをとっても、単に在庫を管理するだけではなく、仕入れと売上まで含めて考えれば経理や簿記の仕事になります。

20代の自分には、「その仕事をやって自分にどんな技能が残るのかを考えろ」と言いたいです。


さて、今回はわたしの会社員時代のことを振り返ってみました。

いかに自分がダメなサラリーマンだったかが明らかになって情けないやら、恥ずかしいやらです。

まあ幸い現在はいろんなことが可能な時代ですから、これからも前を向いて進みたいと思います。

ほんの少しでも皆さんの参考になれば幸いです。

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