この記事では、英語の読み聞かせを行うことについて、以下の内容を紹介します。
- 一度日本語で読んだことがある本でやる方が良いこと
- おすすめ本は『ふたりはともだち』(アーノルド・ローベル)
microshovelです。我が家では、2人の息子の英語学習に読み聞かせを取り入れています。
特に下の子(小2)は、まだ自分で英語の本を読める段階ではないので、毎日読み聞かせをしています。
まあ、忙しいときには親が読んでやる代わりにYouTubeの読み聞かせ動画を見せたりもしますけど、その辺は柔軟にやっています。
英語の読み聞かせに関しては、
- 読むのはネイティブスピーカーでなければならない
- 本の内容を日本語に訳してはならない
とよく言われるようです。本当にそうでしょうか?
わたしはそれに疑問を持っているので、以下に述べてみます。
日本語に訳してはいけない?
子どもの英語学習について一般に言われていることに関して、わたしが疑問に感じているのは大きく分けると次の2点です。
- ネイティブスピーカーに教わるのが一番だという思い込み
- 完全なバイリンガルになれるという思い込み
それぞれ説明します。
<ネイティブスピーカーに教わるのが一番だという思い込み>
これは、「英語潔癖症」と言っても良いかもしれません。
単にネイティブに教わる方が良いというだけでなく、ネイティブ以外の人の発音は有害なものとして排除する傾向さえあります。
ネイティブでない人の発音を子どもに聴かせると逆効果だとか、子どもの発音まで悪くなる、と心配する方もいるみたいですが、そこまで心配する必要はないと思います。
英語の学習に関してぜひ覚えていただきたいのは、
- 逆グレシャムの法則(良貨は悪貨を駆逐する)
- 量は質に転化する
という法則です。
「逆グレシャムの法則」というのは、文字通りグレシャムの法則の反対ということです。
グレシャムの法則(悪貨が良貨を駆逐する)というのは経済学の言葉ですが、「一つの社会で同じ価値を持つ2種類の貨幣が同時に流通しているときは、良い方の貨幣は貯蓄されたり、売られたりして無くなり、悪い方の貨幣ばかりが使われる」という意味です。
英語の学習ではこれと反対の法則が存在します。
すなわち、稚拙な発音や表現しかできないとしても、正しい勉強を続けている限り、それらはより相応しい発音や表現に置き換えられていく、ということです。
よく他の地方に引っ越したりすると、子どもはすぐにその地方の方言を身につけたりします。
これも一種の逆グレシャムの法則です。
決して引っ越し前の言葉が「悪貨」だという訳ではありませんが、その場で使われている、その場により相応しい言葉に自然に切り替わっていくということなのです。
「量は質に転化する」というのも似た意味です。
語学やスポーツなどでは特に初期のころは基礎力自体が足りていないものです。
そんなときに練習や勉強の質にばかりこだわっていると、なかなか上達しません。
その時期にはある程度まとまった量が必要なのです。
多少非効率な方法であっても、何度も繰り返しているうちに量はやがて質に転化します。
ぜひ「逆グレシャムの法則」と「量は質に転化する」を信じて、まずは繰り返し英語に触れることを優先した方が効果は上がると思います。
もっと言うと、親を含む非ネイティブが読む英語は決して「悪貨」ではありません。
親がしっかり子どもに伝えようとして読む限り、それはちゃんと英語として子どもの頭の栄養になります。
英語はもはや世界語ですから、世界中にはさまざまな英語を話す人がいます。
親が話す英語も日本語なまりなだけで立派な英語です。
ネイティブの発音かどうかということにこだわり過ぎず、どんどん親が読み聞かせをしてやれば良いと思います。
上手くいけばそのうち子どもから発音の間違いを指摘されるようになります(笑)
<完全なバイリンガルになれるという思い込み>
バイリンガルとは何でしょうか?
辞書によると、
「2か国語を母語として話せる人のこと」または、
「状況に応じて2か国語を自由に使う能力のある人のこと」
とあります。
「母語として話せる」や「自由に使う能力」とありますから、単に英語が多少話せるだけではバイリンガルではないということです。
とすると、ほとんどの人はバイリンガルにはなれない、ということになります。
わたしは同時通訳も行う通訳者の方と話したことがあります。
同時通訳者というのははっきり言って英語の使い手としては最高峰だと思いますし、話す能力についてはわたしの何十倍も上のレベルの方ですが、彼女も「どれだけ勉強しても完全なバイリンガルにはなれない」と言っていました。
わたしは、バイリンガルというのは「両親のうちの一人がアメリカ人でもう一人が日本人というような、それぞれの言語のネイティブスピーカーが両親であり、しかもそれぞれの言語を使用する適切な機会がある」というかなり限られた条件の下で初めて成立するものだと考えています。
ただ英語に触れるだけでなく、両親とのコミュニケーションのなかで、ときには叱られ、ときには涙ながらに訴える、ときには冗談を言い、ときには喜びを表現する、そうしたことを両方の言語で自分の感情を持って行うということです。
そうしたことの積み重ねでやっとたどり着けるのがバイリンガルだと思います。
これはほとんどの人にとって簡単にできることではありません。
そこで多くの親が考えるのが「では、それに似た環境を子どもに与えてやろう」ということですが、これははっきり言ってかなり難しいことです。
一人のネイティブスピーカーの子どもが英語である程度内容のあることを自由に話せるようになるまで仮に12年間かかるとします。
そうなるまでに掛かる時間をかなりおおざっぱに計算してみます。
- 1日24時間から睡眠時間8時間を引いた16時間が活動時間
- 16時間のうち仮に70%が英語に触れている時間とする
- すると、1日あたり672分間(11.2時間)英語に触れていることになる
- 11.2 x 365 =4088時間(1年)/ 4088 x 12 = 49056時間(12年)
なんとネイティブスピーカーがある程度自由に英語を話せるようになるまで約5万時間かかることになります。
これと同じこと、いやこの半分でも日本に住んでいながら出来ますか?かなり難しいのではないかと思います。
これは英語の世界で、英語だけを使って英語を習得するのに掛かる時間です。
言わば、何もない平地になんの支えも借りずに英語という名の建物を建てるということです。
日本語の助けを借りずに英語を英語として理解すること - これが「英語の読み聞かせをするときに日本語に訳してはならない」という発想の基にある考えだと思います。
わたしも以前の記事で「英語脳を作ることが大事だ」と話したことがありますが、わたしの言う英語脳を作るプロセスでは日本語の助けを否定しません。
何の支えもない英語だけの建物を建てるには膨大な時間と、相当な環境が必要と知っているからです。
わたしが目指しているのは、すでに建っている(あるいは建設中の)日本語という建物の支えを借りながら、その横に英語という建物を建てることです。
これなら多くの人にとってもできそうです。
完全なバイリンガルにはなれなくても、準バイリンガルは十分に可能です。
実際に大学卒業までを日本国内で過ごした後に、外資系企業や国際機関などで立派な英語を使って仕事をしている方はたくさんいます。
目指すのは準バイリンガルで良いんじゃないですか?
これだと1日10時間も英語に触れなくても実現可能です。
結局のところ、人はその言葉を話すことが本当に必要な状況にならないと話せるようにはなりません。
1日1~2時間であっても地道に英語を学んでいれば、例えば留学などをして本当に英語で自分の意見を伝えることが必要な状況になったときには、すごい勢いで英語を吸収して話せるようになります。
英語も大切ですが、自分のやりたいことを自分で見つけられるようになることの方が大切です。
「準バイリンガルの英語を使いながら、自分で見つけたやりたいことを達成する」
自分の子ども達にはこうなって欲しいと考えています。
一度日本語で読んだことがある本で読み聞かせ
という訳で、説明が長くなりましたが、わたしは英語の読み聞かせや多読をするときに日本語に訳してもまったく構わないと考えています。
もちろん全文を訳す必要はありません(それは翻訳者の仕事です)が、部分的に日本語で補ってやる方が理解は早いです。
もちろん読み聞かせている途中に分からない部分を日本語で説明してやっても良いのですが、わたしが好んでやっているのが、冒頭で書いた通り、「一度日本語で読んだことがある本を読む」という方法です。
これだと内容はひと通り頭に入っているので、その場で日本語に訳すことなく英語で読むことができます。
物語の先をぼんやりと覚えている状態で本を読むと、内容が予測できているので「ああ英語ではこう言うのか!」という感じで英語が頭に入って来やすいです。
読み聞かせを聞いている子どもも事前に内容を知っている方が安心して聞けるようです。
もちろん読み聞かせをする本のすべてを日本語で読んだことのある本にする必要はありませんが、学習の初期段階で行ったり、学習意欲が停滞した時期などに行うと効果的だと思います。
読み聞かせでと言いましたが、もちろん多読についても同じことです。
一度日本語で読んだことがある本が何かは人それぞれでしょうけど、わたしがおすすめするのは『ふたりはともだち』(アーノルド・ローベル)です。
理由は、
- 日本の多くの国語の教科書に載っているから
- 表現が分かりやすいから
- 子どもにとって親しみを感じるキャラクターだから
- 本を入手しやすいから
です。
『ふたりはともだち』はご存じの方も多いと思います。
国語の教科書に載っているのは『ふたりはともだち』のなかの「おてがみ」という話しですが、カタツムリが運んでくれる手紙を二人(二匹)で待っているシーンをわたしもよく覚えています。
絵も可愛いし、内容もほんわかした内容なので子どもと読むには最高だと思います。
英語版はハーパー・コリンズ社の「I Can Read!」シリーズから出ています。
I Can Read!シリーズのレベル2になっていて、5~6歳から小学校高学年まで本人のレベルに合わせて幅広く使えると思います。
『ふたりはともだち』シリーズは、この『Frog and Toad Are Friends(ふたりはともだち)』の他にも、I Can Read!シリーズから『Frog and Toad Together(ふたりはいっしょ)』、『Frog and Toad All Year(ふたりはいつも)』、『Days with Frog and Toad(ふたりはきょうも)』の全部で4冊あります。
日本語版も出版されており、入手しやすいのでぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
まったくの余談ですが、わたしが小学校のときにこの話しを読んだとき「かえるくんとがまがえるくん」という呼び名がどうもおかしいんじゃないかと思っていました。
かえるとがまがえるでは並びがおかしい、と。
かえるの中にがまがえるとかいろいろいるんだから、「あまがえるくんとがまがえるくん」とか、「かえるくんととかげくん」とかなら分かります。
なのに「かえるくんとがまがえるくん」とはなぜだ?
答えは中学か高校のころに分かりました。
辞書を引くと、かえるは"frog"、がまがえるは"toad"となっています。
そう、かえるとがまがえるは別物だったのです。
英語ではかえるとがまがえるは別の単語だから問題なく成り立っていたのです。
わたしはてっきり"Frog and Gama-frog"みたいなイメージだったのでおかしいと思っていましたが、"Frog and Toad"だったのですっきりしました。
このことを妻に話すと、「へえ、そんなこと気にするの?」と言われました。
どうも昔から言葉には面倒くさい性格だったようです…
さて、今回は、
- 英語の読み聞かせはネイティブの発音でなくてもよいこと
- 読み聞かせをするときに部分的に訳しても構わないこと
を説明し、それらの理由に基づいて、
- 一度日本語で読んだことがある本で読み聞かせをするとよいこと
- そのための素材としては『ふたりはともだち』シリーズがおすすめであること
をお伝えしました。
最近は日本語で出版されている本の原本(英語版)も入手しやすいので、いろいろ試してみると良いと思います。
皆さんの参考になれば幸いです。